昭和51年07月02日 朝の御理解
御理解 第17節
「神の綱が切れたというが、神は切らぬ。氏子から切るな。
当時の椛目で人が、ぼちぼち助かってきだした頃だったと思います。母がある年の元旦にお夢を頂いた。それはもう大水が入って来ておる。それも大水がどんどん入って来る。まぁ昔から椛目は大水どこでしたから、よくまぁ大水が入ってとりましたが、その大水にそのう舟がこう一槽入ってくる。私があのうまぁ船頭でそれから家内やら妹達が、こう尻からげてその舟を一生懸命後ろから押しておる。
今の勝彦若先生がまだ小さい。その舟の上に立ってこの日の丸の扇子を持ってから、さぁみんな頑張れ頑張れと言っておる。舟のともの方を引く者がある舟を押す者がある。私が船頭であのうその舟を自分の家の、家にそれを入って行こうとする、それを家の中にこうやって押し込んだ。その舟の中には青梅が一杯積んであったというのです。そういうお夢を頂いた。
またある時に、私がいわゆる神主さんが着られるような、あの白装束を付けてとこう言う訳です。そのそしてその籾種を一生懸命こう、苗床を作るあの籾を一生懸命蒔いておるところを頂いたと。またある時はもうそれは道路側から入るのではなくて、東側の方からあの入ってもうお広前があそこ一杯になっておる時分で、もう付き出し付き出しの、もうあの屋敷一杯に家が出来とる時分に、ぐるりでしょうかあすこへこう、格子ガラス戸が二枚、半間のが二枚立ってましたから。
そのガラス戸をこう二枚取って、だから一間のなにがそこを小倉の初代、桂松平先生がそれこそ象のように大きかったと言います。象の様に大きい黒牛をこう鼻ずるを握って、こう引っぱり出して下さる。それはもうその一杯大きいもんですから中々出らん。それをやっとかっとこう引っぱり出したところを、引っぱり出して下さったところをお夢に頂いたという。
まぁその時分に母が頂きました、いうならばお夢を三つまぁ聞いて頂いた訳なんですけれども、まぁ本当に家族勢を揃えて私が舟をこう漕ぐならば、それを後ろから押す者もありゃ前を引く者もある。まぁ子供達までがそれこそ頑張れ頑張れと応援をするように、いわゆる信心辛抱梅の花と言われる、その梅の花にゃ梅の実が実る。もうしかも舟一艘の梅の実というのですから、もう随分もう辛抱に辛抱を重ね、貫いてきた私は姿だろうとこう思います。
そういう時にです、本当にもう神様も仏様もあるものかと、言う様な時が何回もあったと思うんです。とりわけ私共が引き揚げて帰って来て、そしてあの弟の戦死の広報を受ける頃には、もうその絶頂だったと思います。それこそあの神様が、あの母が神様のお社にしがみついて、神様をごうぐった事がございました。弟の戦死の公報を受けた時でした。半年余りに私は兄弟の葬式を三つ致しました。
あれ程信心しござるとにしかも一家を挙げて、どうしてあんなに貧乏が続かんならんだろうかと言う様な、まぁ最低のところを通らせて頂いておる時でありますから、確かに神の綱を切るなとは言われるけれども、もうもうもてんと言った様なところをです、まぁかろうじておかげを頂いて、そこを辛抱し抜かせて頂いた。あぁ言う時にやはり、神の綱を切るのじゃなかろうかと言う風に思います。
それこそ象のように大きな牛を、それは家のめぐりと言われますが、もう信心しても信心してもおかげにならない。いやむしろ右と願っても左になる。七年間も兵隊に行っとりましてもう終戦になりましたから、今日は帰るじゃろうか今日は帰るだろうかと、まぁ引き揚げの船を待っておるところへ、参りましたのが戦死の公報であった。それこそ無事の凱旋を願ってこそおれ、戦死するように神様にお願いはしなかった。
家族中の者でお願いしたのにも拘らず、神様どういうことですかと、神様をそれこそおしごうぐるような時代もあった。けれどもやはりなら期せずして、家族中のものがどういう難儀な場合でも、集まるのはご神前であった。私はね神の綱を切るなと、本当にこれほどいわば信心するのに、どうしてと言う様な時こそが、いうならば一番大事な事。そして後で分らせて頂く事はです、そういう時分に家族挙げての信心がでけ、そういう時分に家族挙げての力を頂いてておった時だなと、いうふうに頂きます。
今日は私この教典を、一番初めに紐説かせて頂いたところが、御理解というところがありますよね、神戒、神訓、御理解、その御理解の解という字を頂いたんです。解という字をあの書いて見て御覧なさい。あぁここ御理解解という字ここへ、角という字を書いて刀を書いて牛と書いてある。ですから今日はお互いめぐりを解きほぐして頂く。めぐりの御取り払いを頂く。難儀が続くと言う事は、いわゆる難儀はそのままめぐりの姿です。めぐりの正体です。
ですからそのめぐりのお取り払いを頂く時には、それこそ神の綱を切るなと言われるけれども、もう外さにゃおられんようにきつい時もあるけれども、辛抱し抜かせてが頂いておる内にです、家族中の者の信心の力ともなり、しかもそのめぐりのお取り払いが頂いた時には、沢山の人が助かる程しのおかげにも、なっておったということであります。しかも私の場合にはです。そういうめぐりの深い難儀をしておる時にです、ただめぐりの御取り払い、ただ辛抱しておるだけではなくてです。
一生懸命いうならば、こう籾種をを蒔いておったということです。まぁそれに良く似たお知らせを、私がこりゃまぁ一番修行の激しい時分でしたけれども、お金にいよいよ不自由しておる時分でしたが、神様にねもうそれこそ地団駄踏むようにして、何時いつまでに幾らいくらなからにゃきゃもうどうにもでけません、神様にお繰り合わせを願っておりましたら、ご心眼に頂くのが、私が禿山に登って鎌を持っておるところを頂いた。
いうなら焚き物を切りに山に登っておるようですけれども、山には焚きものにする木一本もないという状態であった。以前はここに沢山な、言うならうっそうと茂っておった時代もあっただろうけれども、なら私の先祖はそれをただ伐り倒したり、それを家を建てたり贅沢をしたりする事だぁけに、言うならば切り倒してしもうて、後に植えるということをしていなかったということであります。
そこで私はその禿山でそれこそ薪にする一本の木もない様な禿山にです、一生懸命に喜びの苗を植えて回ったという時代が、その時分だろうと。だんだん私の難儀魂魄の中でありましたけれども、人が私の話を聞いて大変喜んで下さる。または助かって下さる、だからあそこに難儀な人があるといやぁあすこへ、とその話をして回っておるという時代、一生懸命いうならば喜びの苗というか、木を植えて回っておった時代。
それが五年経ち十年経ちする内にです、大きな木になって例えばこういう大きなお広前でも建立できると言う様な、ならおかげになって来たということです。ですから私共が信心が、どういう難儀な時でも、信心の喜びが頂けれるおかげを頂きたい。でなかったらもうそれこそ、神の綱をもう切らにゃおられんような時があります。ただがむしゃらに、神様どうぞどうぞとお願いしておるだけでは、そういう中にあって、信心の喜びを感じさせて貰えれる様なおかげを頂いて。
むしろ一生懸命喜びの種をまいたり、喜びの苗を植えて回ったりと言う様な、おかげを頂いて、初めてめぐりの御取り払いを頂いて、そして私が分らしてもらう事は、人並み優れた言うならば、めぐりがあったために、人並み優れた信心もでけて力もでけたということになる。してみるとめぐり様のおかげであったと、後で気が付く事であります。今朝私はご神前に出たら、私がお芝居が好きですから、芝居の場面を頂いた。皆さん御承知でない方が多いかもしれません、やはり歌舞伎のことですから。
英彦山権現きわま六助住家の段というのがありますね。英彦山権現というお芝居です。これはあの実録らしいですね。ここの英彦山と小倉の城主とのお芝居なんです。お園という師匠の娘さんが、親の仇を尋ねて、女でありながら虚無僧姿で回って参ります。そうすると見覚えのある子供の着物が表に掛っておる。まさしく自分の甥の着物である。そこでそのこの着物があるからには、いうなら仇に違いはないとまぁ早合点する訳です。そしてあの六助に懐剣を抜いて切りかかる場面があります。
そん時にその子供が出て参りますから、その自分の甥に当たります子供ですから、それを小脇に抱えて、そして懐剣をこうやってあのう構て、その六助に切りかかろうとする場面であります。それこそ寝耳に水でびっくりして、そのどうどうしてこど子供が育てておるか、どうして表に子供の着物を干しておるかと、この着物を目印に尋ねてくる人があったら、その人にこの子供を渡そうとするのが六助の考えであった。
そしてそのまぁ懐剣抜いて切りかかろうとしておる、そういう中に六助が、六助は大変な剣士ですから、もう大変剣術が大変強い訳です。ですからそう切りかけられながらも、こうこうだということを説明致します。そして自分が木山六助である事が分ります。そしたらそれこそ途端に、まぁ様子が変わってくる訳です。今まで抱いておった子供を取り落としてしますです。
その人は親が決めておった末はお園の婿にしょうと、兼ねがね父親が言うて聞かせておったのが、その木山六助であった訳です。そすれば私の婿さんだと言う訳です。自分の抱えておった子供は取り落としてから、それからまぁ女房気取りにご飯を炊いたりする場面がありますね。本当事が分らないから、言うならば恩人である人に切りかける様な事になってくるのであります。
本当の事が分ったら持っとる、いや抱えとるその甥、子供でも取り落とす様な事にもなって来て、参りますようにですね、私その場面を頂いてから、本当の事が分らないから、自分の恩人にでも切りつけるような事をするんだなということです。本当な事が分ったら、さすればあんたは私の主人かということになるのです。めぐりというものがどういう様な事か、ほんとに難儀の元がめぐりであるとするならばです、信心によってめぐりの御取り払いを頂くとともにです。
人が三年五年掛るところは、十年も十五年も二十年も掛ってでもです、御取り払いを頂かせて貰うために一生懸命な信心修行をする。そして例えば私の方で言うならば、象のように大きな牛を神様が引っぱり出して下さる。取り払うて下さる。いうならばめぐりのない身となり、めぐりのない家となりもうその時には既に、めぐりが大きければ大きいだけ、おかげが大きいという力を頂いておった。
さすればめぐり様々であったということに、このめぐりがなかならば、にいつまでこげな難儀をしなきゃならんじゃろうか、私の方はめぐりが深いからと、めぐりが面憎いごと、それこそめぐりに切り掛る様な思いがするのですけれども、めぐりの御取り払いを頂いて、いよいよ清々しいまでに御取り払いを頂いた、その暁に立たせて頂きますとです、めぐり様のおかげで、今日の例えば私のおかげがあるように。
実を言うたらお礼を言わねばならない事に。お礼どころか不平不足それこそ恩人である六助にお園が、懐剣抜いて切り掛かるようなものではなかろうかと思うのです。その本当の事がです段々分らせて頂くとです、痛い苦しいけれども有り難い、いや神の綱など外せというても、外されんと言う様な事になってくるのじゃないでしょうか。どころかそういう難儀な時に、一生懸命信心の喜びの種を蒔いて歩かせて頂ける。
喜びの苗を植えて回らせて頂けれる働きがでける時は、いよいよ難儀な時でなからなければ、出来る事ではないということ。そしてその喜びのいうなら苗が育ち、喜びの木が育った時には、自分だけではない、人も助かる程しのおかげを頂くのであります。そこで例えばです、皆さんが日々唱えておるこの祈願詞の中からです頂きますならば。賢き天地書附をわが信心の要とし、いかなる時にも金光大神の道貫きて、神の働きそのままにわが生活の真実ということになって来るのじゃないでしょうか。
いうならばどういう中にあっても、自分の心の中に和ぎ喜ぶ心、信心のいわゆる金光教の信心でいう、最高の喜びの心を目指さして頂く。それを自分の信心の要とする。難儀を通して本当の信心が分る。本当の信心が分る喜びを信心の要として、いかなる時にも金光大神の道貫きて、昨日の御理解で申しますならば、それこそ十里の坂を九里半登って安心するどころではない、十里の坂を登り越えて向こうへ降りさしてもらう、それをいうならば貫くということであります。
金光大神の道を貫かせて頂くというところに、次の楽があります。次のおかげがあります。神の働きそのままに、どういう難儀な事があっても、それは神様のお取り計らいである。神様のめぐりの言うならば、御取り払いである。神の働きをそのままに、合掌して受けて行く、信心修業させて頂くところからです。真実の本当の生活がでけるようになってくる。本当の事が分ってくる様になってくる。苦しいけれども有り難いとお礼を言える、いわゆる拝山である。
いうならば修行を拝ましてもらえれる、難儀を拝ませて頂けれる、心の状態が開けてくるときに、いやが上にも自分の心は豊かに大きく、それこそ太ってくるのです。そこからです、神の働きそのままに、神様の働きをそのままにこんど現わす事のでけれるおかげ、神様が氏子信心しておかげを受けてくれよと仰るおかげは、もうそれこそ大変なおかげなんです。神様が下さろうとするそのおかげをです、神様の働きをね大きく頂いておりましても、私どもの信心で小さくしてしまったり、無くしてしまったりしておる。
それは神様の働きをそのままに、受けて行こうとする精進をしないから、神様の働きをそのままに、受けて行こうという生き方を身に付ける時に。神様の働きを今度はそのままに、現わす事がでけるようになる。はぁやっぱ金光様の信心じゃなぁ、流石に神様じゃなぁと、人が目を見張るようなおかげにもなってくるのです。いわゆる神の働きそのままに、受けて行こうという精進、そういう時にはいよいよ言うなら、めぐりの自覚に立って、めぐりの御取り払いを頂く。
それを言うならばもう神の綱をが、もう切れはせんかと思うぐらい、いやもう手を外さんやおれないように、苦しいような時程しにです。神の働きですから神の働きをそのままに、いよいよ頂いてお縋りして行かなければならない。昨日私は本当にあのう神様が生きてござるなと、いつの場合でも思うんですけれども、昨日の朝の御祈念に、毎朝あぁしてお参りになる田主丸の別府さん達がご夫婦で、昨日はその御祈念を、にお参りが出来て
なかった。
で昨日一時のあの夏期信行に参って見えてから、ここでお届けがありました。もうそれこそ夫婦が移り変わりに、有り難いあのお夢のお知らせを頂いた事を、ここでお届けされましたが、お父さんの方が頂いておられるのがね、峠を越えてそこであるお年寄りの方から、そのう大根を二本頂いたというお知らせであった。それはもう本当にそれこそ泣き泣き、お参りしなければならない苦しい事を、こりゃ体の上にそうであんなさいましたが、一生懸命のお参りがでけられる様になって。
言うならばそれなりの峠を越されたところに、今はもう楽しくて有り難うしてというお参りが出来られる様になった。朝参りまた昼参りなさるようなおかげを頂かれた。大根二本ということは、大きな根と書いてある。昨日朝頂いた御理解であります。心が太るということでしたね。大根という事はそういう意味なんです。またそれにはもっと意味があります。大根というは苦労しとらんと言った様な、まぁいうならば信心のです、まぁ小学校なら小学校を無事に卒業したということでしょう。
したらお母さんお婆さんの方が頂いておるのが、もう沢山のお赤飯が炊いてある。そのお赤飯をこうやって沢山頂かれたところを頂いた。それこそ赤飯炊いて祝うような心で、信心をせよと言われます。今こそそれがでけておる時です。和賀心の和というのはね、平和の和ですけれども、これはどういうことがあっても壊れない心を和という。いわゆる不壊の心であります。賀の心というのは、ただ喜びというだけではなくて、おめでとうございます、と言う様な心が中に入っとらなければいけません。
陽気ですただ有り難いじゃない。それこそ赤飯炊いて祝う、喜ぶ心が教祖が言われる和賀心の賀であります。その喜びの心を沢山にいうならば頂いておられる。ほいで昨日の今朝の朝の御理解をお父さんが頂いてあるならば、お婆さんの方が昨日の昼の御理解を頂いておられる訳です。心に花園をと言うんでしたよね。四季折々の花が咲き乱れその中に住む手立てが信心の修行であると。いつも信心の喜びの中に住まわせて頂く。それはどういうなら極寒の寒い峠であろうが、どういう炎天の夏の真盛りであろうがです。
やはり真盛りには真盛りの時の花が咲き、極寒の時には極寒の花がやはり香り咲くのであります。どういう中にあっても、どういう難儀苦しい時であっても、信心の喜びの花が咲かせれる程しのなかに、住みたいというのです。それには自分の心がです、それこそ祝うような心よろこび祝うおめでとうございますを、言いたいような心のなかに今別府さんたち夫婦は住んでおられると言うことであります。
けれどもこれはどこまでも小学校的なものであります。これから中学校に又進まれるでしょう。そしたらまたそこにひとつの山があるでしょう。昨日信心研修の時に、末永先生が発表致しました最後に、坂を越え坂を越えても峠かな、これはいつも御理解に頂いた俳句です。坂を越え坂を越えても峠かな、いうなら別府さん達夫婦は坂を越えられた訳です。そこに言うならば今迄かって味合うた事のない、言うならば大根大きな豊かな心にもなれた。お婆さんは祝い目出度い有り難うして答えんと言う心もでけて来た。
これはいうならば信心の小学校が、卒業でけてたと言う事でありましょう。それはまぁ大根というそのそれが、まぁ説明しておる様に思います。これから今度また中学校へ進まれます。坂を越えたけれども今度また、中学という坂があるぞと言う事であります。高校そして大学そして大学を卒業して、良い就職をさせて頂いた所が、向こうへ降りたら安心じゃと言うところは、そう言うところじゃないでしょうか。
そういう信心の喜びを頂きながらじゃなからなければ、やはりこれ程信心するのにこげなこつが起こるならば、もう信心ももう神も仏もあるものかと、言う様な事になって参ります。どういう時であっても今こそ力を頂いておる時だ。いや今こそめぐりの御取り払いを頂いておる時だ、それを実感して感じれれる信心。いわゆる信心の喜びを、どういう寒い時であろうが暑い時であろうが。
そこに信心の喜びの花が咲く程しの、おかげを頂きたい。そういう稽古をさせて頂きたい。そういう生き方こそいよいよね、神の働きをそのままに頂いた事になるのです。どういう難儀な思いをする時であっても、それを頂き抜く時にです、神の働きそのままに頂くのですから。その向こうには神の働きそのままにという、おかげが頂けれるおかげの世界があるのです。
どうぞ。